Forever

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推薦の言葉

東北大学 准教授 若島孔文

『私は東日本大震災で心理支援を様々な立場で行っています。様々なものが失われました。ある人は家族を失い、ある人は家や思い出の記録を失い、ある人は職を失いました。 心理の専門家として、援助に携わる中で、自らの無力さに愕然としながら、できることを一つ一つ続けている毎日を送っています。 様々なものが失われたことに対して、私たちができることは何なのか。家族を失った方に私たちができることは何か。それを毎日考えているところです。 そのような中、フォーエバー・プロジェクトについて知ることになりました。失われた人がこの世に確かに存在していたという証、その人が生きて人々に与えていた意味、 それが生きている私たちに共有されることこそが私たちにできるこころの支援ではなかろうか、そのように考えるようになりました。私たちに必要なことは、 失われたものの回復だけでなく、生きた証であるヒストリーを取り戻すことです。生命は意味、そしてヒストリーを必要とするのです。それが究極的なこころの支援です。』

若島孔文:東北大学大学院教育学研究科臨床心理研究コース准教授、海上保安庁第三管区惨事ストレス対策委員(特殊救難基地担当)、東日本大震災PTG支援機構理事、宮城県臨床心理士会事務局長

ビクターエンタテインメント株式会社
    エンタテインメント・ラボ長  栗原 洋

今回このFOREVER PROJECTを知ることになった際、真っ先に思い立ったのは、ビクターの象徴であった、犬のマーク、ニッパーのストーリーです。
「1889年のイギリス。画家であるフランシス・パラウドは、ある1枚の絵を仕上げました。それは、一匹のフォックス・テリアが蓄音機に耳を傾けている姿。
兄であるマーク・H・パラウドがなくなり、その息子と愛犬ニッパーを引き取った弟フランシスがある日、目にした光景。
それは、蓄音機から聴こえてきた兄の生前の声を耳にした愛犬ニッパーが、不思議そうに、そして懐かしそうに聴き入る姿でした。
感動した弟フランシスが、そのニッパーの姿を『HIS MASTER’S VOICE』として絵に書き残した。」というものです。
そこには、愛があり、感動があり、そのストーリーが100年の時をこえて後世にも伝わっています。
これは、人それぞれ誰にでも当てはまることです。人が生きた証として、その人が残したストーリーが、その人を知る人たちによって、集められ、
その人のヒストリーとして、完成されていくこと、そしてそれが後世まで残されること。
家族すら知らなかったような暖かい話が、出てくるかもしれません。
これこそ、時代が必要とするちょっと素敵な心の支援ではないでしょうか?
感動を与えるレコード会社の一人として、また一個人の使命として、かかわるべきプロジェクトだと思っています。

つくば国際大学 医療保健学部
   看護学科 精神看護学 教授  高橋 聡美

亡くなった方への思いは、なかなか表立っては語れない現状があります。
もう一度会いたい。もう一度触れたい。もう一度抱きしめたい。もう一度声を聞きたい。
そんな恋しさや愛しさを募らせながら、日々が流れて行きます。

大切な人を亡くした時に、人はよく「悲しいことは忘れて前へ進みなさい」と言います。
けれども、その人が大事な人であればあるほど忘れることなどできないのです。
大事であればあるほど、心の中に永遠に生き続けるのです。

Forever projectはそんなご遺族達の「永遠の思い」をサポートするプロジェクトです。

永遠の思いを紡ぐこと。それはきっと大事な人との間を結ぶ一つの形になることでしょう。

子どもグリーフサポートステーション 代表
東日本大震災中央子ども支援センター アドバイザー
西田 正弘  約28年間交通遺児育英会・あしなが育英会に勤務、12歳の時に交通事故で父親を亡くす。

小学6年生の時、交通事故で父親を亡くした私は、いつのまにか「死に様」に占拠されていたのだと気づいたのはいつのころだろう。
年賀状が少なくなり、来客も減っていった。父親との思い出を家族は語らなくなり父の存在も消えていったように思う。

だが、同じような体験をした者同士のとの出会い、語らいを通してふたたび父の存在が蘇った。 しかし、自分と父の思い出だけで、自分が知らない父の姿を誰に聴いたらいいか分からなかった。

進路に迷った時、おやじだったらどう考えるかな?と考えている自分がいた。
おやじはどんな人生を歩んできたのか、知りたいと思った。

親と死別した子ども達は、逆境の中で未来を生きていかなければならない。
そのとき必要なのは、死んでいった父親や母親の「生き様」だ。
どこで生まれ、どのように育ち、何を学び、誰と遊び、どんな人生を歩もうとしたのか。
どんな夢を持ち、しかし夢に破れ、どんなふうに大切に思う人と巡り会い、子どもとしての「私」を引き受けたのか?
私はそんな親の生き様につながりたいと願った。

どうか「なくなった方」の友だち、同僚のみなさん。あなたの知っている日常のその人の「生き様」を遺された子ども達にそっと伝えてあげてください。
命のはかなさを思うとき、よるべなき不安な夜にこそ、その生き様を通して「見守って来た人」がいたことを子ども達は頼りにすることができるでしょう。 「生き様」が足音となって行く先を導くかもしれないから。何より「お父さん」「お母さん」と呼びかける存在として子ども達の中に浮かび上がることでしょう。